| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
第一巻 12号
「漢字御廃止之議」とおふでさき
歴史的に日本語は、中国から漢字を取り入れることによって、かきことばを
獲得した。しかし、日本語の歴史は漢字からの独立の歴史であった。それは
日本語独特の音節文字である仮名文字の開発にはじまっている。
江戸中期の儒学者であり、政治家でもあった新井白石(1657-1725)な
どは、西洋人にはなしをきいたら「その字母わずか33字」であって、これ
が「天下の音として、うつすべからずというもの」がないと感嘆している。
江戸中期の国学者・賀茂真淵(1697-1769)も、同じように「天竺では、
50字もて5千余巻の仏の書を書伝え」といい、わずか25字でなり立って
いるオランダ語にも注目して、漢字を中心にした日本語の表記法の複雑さ
におおきな疑問をなげかけている。
さらに下って、慶応2年の12月には、日本に郵便制度を導入したことで知
られる前島密が、「仮名を一国の国字とし、文法を定むべし」と徳川慶喜
将軍に「漢字御廃止之議」を提出している。その実践例として「まいにち
ひらかなしんぶん」のような全文ひらがなで書かれた新聞もあらわれたら
しい。
つづいて明治6年には、哲学者・西周(1829-97)が「洋字を以て国語を
書するの論」をかき、最初のローマ字論者といわれた。また福沢諭吉は同じ
年に「文字之教」のなかで、漢字全廃論をとなえ、明治12年には「羅馬字
会」が発足している。
その後、井上馨、西園寺公望、大隈重信、鶴見祐輔など、そうそうたる人
たちによって「日本語を世界語と為す運動」を通して、ひらがな・ローマ
字運動に政治色がいりこんで、日本語論があらたにおこった。一方、森有
礼などは日本語を英語に、戦後志賀直哉は日本語をフランス語にせよと主
張したり、日本語をめぐっての議論は、日本が歴史的な危機をむかえるに
あたって、くりかえされてきた。このあたりの消息については、加藤秀俊
の「日本語の敗北」(『中央公論』平成12年4月号)にくわしい。
こういった歴史のながれをふまえて、日本がIT(情報技術)時代を生きぬ
くためには、日本語の将来はどうあるべきかという文明論からみた主張と
提言を、日本ローマ字会の会長である梅棹忠夫先生にお聞きしたのを本誌
に特別掲載した。しかし、筆者がここで注目したいのは、天理教祖がつと
めの第一節を教えられたのは、前島の「漢字御廃止之議」の数ヶ月まえで
あるということと、仮名でかかれたおふでさきが明治2年にはじまってい
るという史実である。
つまり、脱漢字という歴史的共時性が世上を鏡としてここにおいてもみら
れる。おふでさきが仮名文字でかかれているのは、単によみやすいという
だけでなく、もっとその理由の根本は言語的なところにあるように思われ
る。
やまとことばのもつ意味は、しばしば重層的である。翻訳者はその訳語の
選択になやまされる。たとえば、「やさしい」というやまとことばは、漢
字や英語にすると、すくなくとも「優しい」「kind」と、「易しい」「ea
sy」の2つの意味をもっている。それは易しく表現することは、筆者の読
者にたいする優しさにほかならず、両語のもつ意味はその底辺においてつ
ながっていて、矛盾してはいない。やまとことばは、それを一つのことば
であらわすということばのひろがりをもっている。従って、音声にもとづ
くやまとことばの表現は、必然的に脱漢字的にならざるを得ない。
やまとことばは論理より詩的表現に向いた言語であり、宗教的真実は本質
的に論理より、詩的感性を通して伝わりやすい。だからといって、おふで
さきに論理性がないということではない。全体を通して構造的に確たる原
理原則の上にたっている。つまり、おふでさきは一首一首個別的には詩的
であり、総体的には論理的であるという二つ一つの調和の上になりたって
いるのである。もちろん漢文も英文も、さまざまな言語独自の詩的表現の
かたちをもつが、それは所詮かたちであって、ことばそれ自身ではない。 |