| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
第一巻 2号
グローバリゼーションと「裏守護」再考
天理教の根幹である「元の理」において、十の神名で象徴される親神の守護の働きは、一つ一つがそれぞれ独立した機能を果たし、その場所を占めながら、人間宿し込みの「ぢば」を中心に、全体として一なる神の守護に包摂・統一され、十全のものとなっている。その解説背景に、いわゆる「裏守護」の説き分けがあるが、その説き分けは、現代におけるグローバリゼーションの画一化の問題と、民族文化や原理主義の反逆を考える上で、非常に示唆に富んでいると考えられる。
深谷忠政本部員は『天理教教祖論序説』の中で、「いわゆる十柱の神の裏守護といわれるものは、天理王命が神々の神として元の神たることを明示するものである」とし、30の裏守護を挙げている。そして、方位をもって示される十柱の神の守護の説き分けは、神が存在論的にではなく、機能的に明らかにされている意味において天理教神観の特徴を示しているとする。
そこで世界の多様な宗教は、すべて十柱の神の守護のどれかを強調しているものと解釈し、キリスト教は「愛を重んじ、かくれた神の顕現という時間的関連を説く」故に、をもたりのみこと、対して仏教は、「人間の理知を重視して諦観を教え、縁起という空間的関連を重視」する故に、くにとこたちのみことの守護の上に成立すると言う。
『天理教教祖論序説』は、これ以上突っ込んで考察してはいないが、世界の多様な宗教思想が持つ、歴史的な特徴や多様な文化の個性を見極めることにより、その特性を親神の十全の守護に対応して検証することは、 「裏守護」説き分けの神意に添った「元の理」の文明的解釈であろう。
サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』において、多極・多文明化する世界を語り、比較文明学会会長の伊東俊太郎が「文明調整」の方途を掲げる時、天理教学においては、「裏守護」が示唆するパラダイムの文明的展開が求められる。
天理教学が「裏守護」に関して、その書誌学的研究の領域に止まっているのは、神道や仏教見立てにおいて見られる非整合な配置にあるからであろうか。しかし、もともと世界の多様な宗教や文化、そして文明は相互に影響し合っているから、個々の教義の独自性を境界として、必ずしも相互に排他的に存在しているのではない。つまり、それらの教義には重なり合う部分が見られる。風土や歴史伝統による相違はあっても、人間として社会生活を成り立たせるための共通的倫理規範も当然持っている。それを集大成し、人類普遍の「地球倫理」を創出しようという国際的な試みもある。
ハンチントンも、たとえ「わずか」であっても、人間の道徳的規範である「普遍的な性質」は、あらゆる文化に見い出されるとして、普遍主義を放棄して多様性を受け入れ、共通性を追求することの大切さを強調している。この視点の方向は、自ずから「元の理」と「裏守護」の説き分けの根拠について再考を促す。
親神の下に、人間の魂が平等である権利と、それぞれが違う心で造り出す文化相異に立つ個性は、まったく矛盾しない。加えて、現実の世界は、ファジーで成立っている。
「裏守護」の曖昧性、非整合性はこの世界の非条理な多様的現実に立脚している。「裏守護」を伝える「元の理」の構造は、諸宗教間の共存・調和に向けても、グローバリゼーション時代に対応する、天理教学の姿勢と新しい視点を提供するものと考えている。
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