| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
第一巻 9号
天理大学雅楽部・「敦煌」演奏の歴史的意義
天理大学雅楽部が、蔵経堂発見敦煌学誕生百年記念国際学術会議に、主催者敦煌学研究院の招請にこたえて、7月30日世界遺産として知られる「中国・敦煌の莫高窟」の正面において、200数十名の学者の前で、傾盃楽、催馬楽、蘇莫者などの雅楽を披露した。特に傾盃楽急の演奏は、現在の中国にはすでにない、莫高窟で発見された1000年前の敦煌琵琶譜にある同名の曲を演奏したもので、その歴史的意義はきわめて大きいと思われる。
莫高窟には、現在528の石窟が確認され、その壁画の総面積は約5万平方メートルで、石像は約3千体に及ぶといわれる。320窟の舞楽図や429窟などの飛天に見られるように、その楽器の形態や演奏のスタイルは、日本の雅楽の源流であることを十分に物語っている。また敦煌のシンボルでもある、琵琶を背中に回してからだを捻り弾ずる天女の「反弾琵琶」舞の図は、濃艶でもあり、ロック・ミュージックのギタリストを遙かに凌いでいるように見えて、1000年の時の隔たりを全く感じさせない。
敦煌は、中国側の西域との交通の要衝、シルクロードの出入り口にあたるオアシス都市であった。4世紀から14世紀にかけて仏教文化が栄えたが、16世紀以降はさびれ、1900年にその莫高窟から5万点あまりの古文書や絵巻が発見されたのが契機となって、「敦煌学」が起こった。雅楽の譜面は、正倉院でもその古譜が発見されており、フランス人ペリオが持ち帰った敦煌文書にある楽譜が、最近この日本の雅楽の琵琶譜をもとにして解読されたことは、専門家のなかではよく知られている。
天理大学雅楽部は、今回それを莫高窟の前で劇的に演じて見せた。千年前の旋律をその場所で復元したことの意義は、シルクロード文化交流史のなかでも特筆されるべきであろう。天理教の本部・ぢばは、日本最古の道として知られる山の辺の道にそって、北には平城京を、そして南には藤原京を見るやまと盆地の東方の中心部に位置している。山の辺の道は仏教文化が東漸したシルクロードの終着点であるが、つぎつぎと発掘される遺跡や遺物は、その真実を如実に証明している。
シルクロードは絹の道であるばかりでなく、経済・情報・文化の道であり、ホースロードでもあった。神殿の東礼拝場の東方階段付近から最近発掘された数多くの馬の歯は、ホースロードと山の辺の道が繋がっていたと考える考古学者もいる。シルクロードは巡礼の道でもあったし、さまざまな競技が伝えられたスポーツロードでもあった。
ところで、遺伝子の情報列の進化が生物の脳を発達させ、その結果人間の心が生まれ、その心がさまざまな自然環境のなかで、多種多様な文化を育てたとすれば、シルクロードは文化遺伝子の情報列として見立てられる。このように考えると、シルクロードが運んだ多種多様な文化「種」の着床地点は、「苗床」・母胎としてのやまと盆地であるというイメージが浮かぶ。さらに言えば、この歴史・文化的事実と、着床地点に見立てられる聖地ぢばのもつ宗教的意味は、重なりあうこととなる。つまり、「裏守護」と見立てられる異文化や他宗教は、天理教の教えと断絶しているのではなく、繋がっているというわけだ。このような次第で、シルクロードに籠められた教学的意味は、きわめて大きいと言わねばならない。その掘り起こしが求められる。
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