| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2002年10月号
現代の「谷底」・アフガニスタンから見えるもの
米同時多発テロを受け、米軍がテロ組織根絶を目的にアフガニスタン攻撃を始めてから10月7日で1年経った。タリバン政権は1ヶ月で崩壊し、米国や国際社会が後ろ盾となってカルザイ大統領を軸に暫定政権が新たな国造りを始めている。しかし、ビン・ラディン氏やオマール氏の消息は依然として闇の中で、散在するテロ組織アルカイーダの掃討は先が見えない。地方軍閥の抗争は深刻化し、統治能力に疑問符が打たれるようになったカルザイ政権の前途には、一層の政情不安と治安悪化の泥海が予測されるようになった。先月、国連UNITARのミッションの一員としてカブールとカンダハールを視察に訪れた筆者は、治安の安定と復興推進に向けて、その前途を阻む材料が余りにも多いのに愕然とした。23年間に及ぶ戦争の被害に加えて、アフガン史上未曾有といわれる4年連続の大干ばつ、相次ぐ地震による災害の後遺症は、再建に求められる人材の圧倒的な不足もあって、現代の「谷底」そのものを呈している。
世界たすけと「谷底」せり上げを教祖ひながたの道の原点とする天理教は、その事情の中からどのような神の声を聞こうとするのか。100年前と違い、地球全体を覆う情報網を通して世界の出来事が瞬時にして私たちに届き、それを知ってしまった限り、それを架空の出来事として捉えることは許されないと人道主義者は言い、数多くのNGOが危険を冒してアフガニスタン再建に取り組んでいる。絶対倫理からすれば、苦しむ人がいると言うことを知った人間には、それを助けるという義務が生ずるというわけだ。
おふでさき17号のおわりで「月日にハせかいぢううハはみなハが子 かハいゝばいをもていれども」「それしらすみな一れつハめへ に ほこりばかりをしやんしている」「この心神のざんねんをもてくれ どふもなんともゆうにゆハれん」「いまゝでのよふなる事はゆハんでな これからさきハさとりばかりや」と教えられる。つまり、おふでさきを読むと言うことは、その先また個々の信仰者に強く要請される悟りによって開かれた独自の精神世界が現れ出てこなければならない。このように考えて、このお言葉をアフガニスタンに重ね合わせると、教史における明治16年の大干ばつによる雨乞いつとめの深刻さも、一に百姓たすけたいと仰せられる教祖の親心も、「高山」に対する「上たるハせかいぢううをハがまゝに をもているのハ心ちかうで」(3─124)というお言葉も、俄然2世紀の時を超えて現実化する。まことに「谷底」を知らなければ「谷底」も「高山」も真に語ることは出来ないと知ったのである。
「遊山」とは禅宗に由来する言葉として知られ、山野を歩き修業を経て「悟り」に至る道程をいう。また「谷底」を流れる渓谷に船を浮かべて、その渓流を下る船から聳え変化する「高山」の風景を楽しむ事を言う。従って「陽気遊山」という言葉は限りなく美的で流れるようなダイナミズムを持つ。しかし、現実のアフガンの「谷底」には水は流れていない。遊山の条件である「水」が不在では平和の海が視野に入ってこない。
ペシャアワール会の中村医師はアフガニスタンで井戸を掘り始めた。800基以上の井戸を掘り、600基以上から水が湧き出たという。金が無くとも水さえあれば生きていけるというアフガンの9割を占める農民を助けるために、医者が井戸を掘る。教祖伝逸話篇にも井戸の話が出てくる。誰かカンダハールで一緒に井戸を掘る人はいないだろうか。 |