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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2002年6月号
環境と文明の変遷に見る「元の理」解釈
天理教の創造救済説話である「元の理」は「5尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった」と人間と自然の共進化を示唆している。また明治16年本(桝井本)・『神の古記』では「人間のせいちよふにおふじ、てんちうみやま、みつつち〔編註:水土〕すみやかにわかりあり」と記されている。つまり、天理教では人間生存にふさわしい自然の条件がととのって人間が誕生したとは教えていない。このことは環境問題を考えるについて天理教者が見逃してはならない大切なポイントである。生命と地球の共進化については「元の理」にふれ、Vol.1,
11号の巻頭言で地球史解読プログラムを紹介したが、今回は最近の比較文明論の視点から考えてみたい。
比較文明学会の会長である伊東俊太郎東大名誉教授は、地球環境の変動と文明の変遷の関係について、人類文明の発展を「人類革命」「農業革命」「都市革命」「精神革命」「科学革命」の5段階に分けて、現代は「環境革命」という第6の文明変革期にさしかかっていると述べている。一方、安田喜憲国際日本文化研究センター教授は、過去の世界の主文明圏における気候変動を克明に調査して、気候の変動と文明の盛衰には因果関係があるという極めて説得力のある仮説を立てている。伊東教授はこの意見に賛同しながら、自分の立場は「環境決定論」ではないとし、文明の新たな創出というものは、人間と環境との相互作用によっているのであり、変革期を乗り越えた過去の世界の諸文明は、その地域が環境の変化の挑戦に対して、創造的に対応したところにのみ発生しているという事実を、人類史的なスケールから、花粉考古学といった先端学問の成果を取り込んで証明しようとしている。これが正しければ、「節から芽が出る」という真実は、新しい文明の創造においても普遍性をもつと言える。
このように展開される最近の文明史論は、人類の成長は自然の変化と相互に対応しているという「元の理」の教えの理解をさらに深めてくれる。身上や事情は、一般に個人的な内的環境の悪化として捉えられるが、それを神の手引きとして受け取り、さんげと心定めの実践を通して自己啓発の契機とする天理教の考え方は、現代の地球的環境破壊を人類史的事情という視点から新しい文明の誕生を期待する神の手引きであるという自覚にまで昇華されなければならない。そうでないと「元の理」は個人救済の次元に終始し、実践的に人類全体のたすけの理ばなしとして発動し得ない。つまり、現代が突きつけるさまざまな問題に深く切り込んでいくことは出来ない。
最近の遺伝子工学は、単細胞にはじまる自然の生きものすべては、その分化、進化の過程を経て人間に至まで、同じDNAを持っていることを発見した。このことは、つとめの第三節「一列すまして」という言葉のもつエコロジカルな意味領域に私たちの眼差しを向ける。「一列」は漢語ではなく、その原意が和語として「同様」「すべて」の意と解されるからである(加地伸行阪大名誉教授)。「元の理」は生命と自然の共進化のプロセスの中で、自然と生きものとの「調和」と「共生」の大切さを伝える豊かなメッセージを持っている。親神の十全の守護が、天地人を貫いて循環しているが故に、環境問題を解決するさまざまな着想のヒントが籠められている。「はや としやんしてみてせきこめよ ねへほるもよふなんでしてでん」というおふでさき5号64番のお言葉が鋭く迫ってくる。
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