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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


2003年6月号
「若江の家」と文明開化

 嘉永6年(1853)米国対日使節ペリーの来航により、日本の長い鎖国は解かれた。その後欧米の文物が急激に流入し、わが国は急速に西洋化・近代化した。明治前半期にはその文物の輸入が国策として大々的に行われたが、その西洋文明を積極的に取り入れた現象を文明開化という。文明開化を象徴するものには、散切頭に洋服、ランプに牛鍋、鉄道や蒸気船などがあるが、数多くのいわゆる洋館という特異な建物も、見逃すことができない文明開化の産物であった。中央の官庁をはじめ、学校、駅舎、銀行、ホテル、そして個人の邸宅といわれる大きな和館・洋館などに見られる建築様式は、日本の木造建築とは異質な技術と材料を採用したものからなり、日本近代建築史のなかでは、日本の伝統的建築と近代建築の狭間に出現した特異な建物といわれる。

 天理大学構内に建つ大正13年に竣工した「若江の家」は、この文明開化がもたらした象徴的・歴史的建物として位置づけられる。当初、中山正善天理教「管長公勉強室」として、大阪の若江岩田にあった天理教大阪教務支庁境内に建てられたが、昭和30年天理大学の前身である外国語学校創設の30周年を記念して現在の位置に移築された。その理由は、創設者が述べるように、この洋館の建物の中で、世界一列陽気ぐらし実現へむけての天理教教祖の教えの延長線に、外国語学校創設のビジョンが熱く語られ、その結果として天理大学の前身が誕生したからである。ゆえに、「若江の家」は天理大学の「建学の精神」を宿した、いわば建学の精神母胎としての意味を持つ。

 「若江の家」は、大正5年に創刊された洋館建築の専門月刊誌『住宅』の中に紹介されているあめりか屋(大阪支店)の設計で、施工は大林組と聞いている。『住宅』は天理図書館にほぼそのバックナンバーが揃っており、表紙には寄贈中山正善氏と押印されている。洋館建設にあたって創設者はこの建築専門誌を購読し、ひそかに調査研究を進めておられたことが窺われる。筆者は後に展開される天理の宗教建築の独自的構想の原型は、創設者が置かれたこの時代における文明開化の歴史的潮流に無縁ではなかったと考えている。『住宅』を注意深く読んでいくと、当時わが国の文明開化の諸相が建築という営みを通して垣間見られ、文明開化が導入した洋館が、単なる邸宅であることを超えて、流入する新しい文化思想を運搬する入れ物であり、かつまた新進気鋭の人物が交流する場所としての役割をになっていたことが知られる。つまり、それが和魂洋才であれ、和洋折衷であれ、洋館は新しい思想の実践的決断を促し、それを受胎着床させる母胎であるかのような印象を醸し出しているのだ。

 創設者は東京大学に入学するまでの2年間、「若江の家」から大阪高等学校へ通学し、当初は寝室と書斎からなる質素な日本間が2部屋があれば一学生としては十分だと言われていたらしいが、最終的に「管長公勉強室」としてこの洋館の普請を採択したのは創設者自身であったと思われる。その背景には、首都の最高学府において先輩として学び、文明開化の激流のなかに青春を謳歌した、天理教大阪教務支廰長・中山為信(1892-1961)本部員をはじめ、教祖の時代を生きた古老たちの創設者に対する強い思い入れがあったと推測される。筆者は『住宅』(大正15年11月1日発行)のなかに創設者が挿んでいたと思われるガリ版印刷の紙片を偶然見つけて、大正15年教祖40年祭(1926)直後の7月と8月に開催された一般教会長大講習会の時間割表と講演題目、そして講習会のそうそうたる講師名を知るに及んで、その思いを強くした。

 天理大学は、この洋館・「若江の家」を創立80周年の記念事業として創設者記念館にすることを、遅まきながらも本年の4月に決定した。準備委員会と顧問会議も追って設置されたが、2005年の80周年まであとわずか2年もない。私たちは修復再現を正確にするために、建築図面を探しているが、設計を担当した大阪のあめりか屋はすでになく、移築を担当した天御津組も現存していない。また施工主の大林組に問い合わせても、該当する図面を発見することができないでいる。レトロな内装やオリジナルな照明器具については、竣工当時や移築以前の写真を見つけるしか方法がない。そこで読者のなかで、屋外屋内を問わず、「若江の家」の写真をお持ちの方があれば、是非ご教示頂きたいと思う。

 関西の私立大学では大学間の生存競争が激しくなる中、歴史的な建学のシンボルとなる洋館の保存修理が相次いでいる。それは「建学の精神」をもう一度思い出そうとの意味があるようだとした解説記事を日本経済新聞夕刊(2003.5.24)が写真入りで紹介している。「欧米では古い建物が残るキャンパスの雰囲気に引かれ、観光客や地域住民が集まる。日本でも建築物を通じて各大学がアイデンティティーを見直す作業が始まっているのではないか」とは、建築構造学が専門の京都大学の西沢英和講師のコメントであった。天理大学もいま「若江の家」を通して、どこまで真剣にその「建学の精神」に接近できるかが厳しく問われている。

 
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