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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2003年8月号
宗教と夢─夢と現実の「二つ一つ」
人間はこの世に生まれ落ちてから、赤ん坊の時はほとんど寝て過ごし、成人しても授業中や会議中は言うに及ばず、通勤電車のなかでも寝ている時が多いから、人生約3分の1は寝て過ごすのではなかろうか。従って年齢を聞かれたときに、私が60歳と答えるとすれば、私は生まれてから20年間寝てきたと答えていることになる。そして人間は、ほとんど忘れているにしても、この寝ているときに夢を見ている。その夢は魂の散歩であると実にうまく表現した人がいたが、その人の名前は忘れた。
夢と宗教に関して言えば、宗教進化論で著名なE.B.タイラーは、宗教の起源を未開人の夢の解釈に見いだしている。人間が夢などの不可解な心的現象を理解しようとして、肉体から遊離し得る霊魂という観念を持つに至ったのが、霊的存在の信仰の始まりというわけだ。その霊魂の観念が、人間から動物へ、植物・岩石・食物・武器などへと連想・拡大されて、アニミズム的な世界観が成立し、そこから多神教、一神教という宗教が進化してきたという。夢を、遊離した魂の経験の現れであるとする信仰は、未開人や古代人に広く認められる。古代インドでは、睡眠中の人を急に起こすとその魂が肉体への帰り道を見失って癒しがたい病に陥ると考えられ、中国では睡眠中に魂が肉体を離れ、その逍遥の間の体験が夢であると信じられていたという。また夢が神や悪魔などのお告げであるという考え方は世界中にあり、その例は枚挙にいとまがないほどである。ギリシャでは夢の送り手はゼウスやアポロであったり、イスラムでは善い夢は神に由来し、悪い夢は悪魔から送られると教える。(『宗教学辞典』東京大学出版会)
夢の多くは支離滅裂であり、意味不明、不合理に満ちている。常識の世界をはるかに超越しているので、そのために夢の解釈は古代から盛んに行われていた。夢は無意識への王道であるとも言われるが、バビロニヤでは夢判断のテキストが作られていたという。そのなかでは勿論、個人、国家を問わず吉凶が盛んに予言されていたに違いない。また、ユダヤ法典にはエルサレムに12人の職業的夢解釈家がいたことが記されている。バビロンが栄華を誇っていた現在のイラクやイスラエル・パレスチナの紛争のながきをみると、現実の世界が夢の世界にとってかわったようなむなしさを感じる。実際、夢と現実が逆転したような諸相は、最近あちこちに見られるようになった気がする。
フロイトは夢と宗教を心理機制において同根と考え、宗教は幼児的願望が外界へ投影された幻想の体系であるとした。それに対してユングは、夢は意識的な洞察よりすぐれた知恵を現す能力があり、基本的には宗教的な現象であるとした。河合隼雄は『明恵夢を生きる』の中で、さまざまな仏僧の「上昇の夢」を分析解釈した後、ユングが70歳のころに心臓麻痺で危篤状態になったときに見たという、地球から遙かに遠ざかった地点に到達した夢ともヴィジョンとも思われる次のような体験を紹介している。
「私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのが見え、そこには紺碧の海と諸大陸とがみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らし出されて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。左方のはるかかなたには大きな広野があった、──そこは赤黄色のアラビヤ砂漠で、銀色の大地が赤味ががった金色を帯びているかのようであった。──」(『明恵夢を生きる』、140頁)
1990年天理で宇宙飛行士などを招き「宇宙の心・心の宇宙」という国際シンポジウムを開いた。その時、アポロ12号で月面に着地したピート・コンラッドが「月面に立ちて想う」というテーマで話をし、その宇宙体験を数多くのスライドを使って披露した。その一こまであるスクリーンに大きく映し出されたインド大陸を中心とした宇宙からの地球の映像が、ユングが体験した「上昇の夢」の描写とぴたりと一致したような印象を与えた。明恵の夢の話を河合隼雄氏から聞いたコンラッドも大変驚いたが、氏によればこのような例は多く見られるとのことであった。しかし、何故かという質問に対しては返答は返ってこなかった。
ところで、天理教では夢は肯定的に捉えられている。「どのよふなゆめをみるのもみな月日 まことみるのもみな月日やで」(ふ12:163)。「語るに語られん、言うに言われん。夢でなりと、現でなりと知らせたい」(さ23/6/2)。現実の世界に神の摂理があるように、夢の世界にも神の摂理がある。言葉で伝えられないことは、夢を通してでも知らせるという親心がある。ユングは、夢は無意識の側から意識の偏りを警告・補償するものを現しているとする。夢と現実を分断して「そんなの夢の話じゃないか」というのではなく、両者を橋渡しする「二つ一つ」の天理教学からの研究が求められる。
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