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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2003年9月号
宗教研究の新パラダイムを求めて
─研究所創立60周年記念国際シンポジウムから─
日本宗教学会第62回学術大会が天理大学で開催された。丁度本年は、おやさと研究所設立60周年にもあたるので、大会に先立つ9月3日「宗教の概念とそのリアリティ」というテーマのもとに、研究所主催の記念国際シンポジウムを行った。
300名に近い宗教学を専門とする人たちの参加があった。主会場に入りきれない人のためには別室にモニターテレビが設けられた。
基調講演は「宗教研究の理論と方法」と題して、チャールズ・ロング、カリフォルニア大学サンタバーバラ校名誉教授、「比較宗教学再考」と題して、ウィリアム・グラハム、ハーバード大学教授が行った。両教授とも専門は宗教学であるが、ロング教授は、20世紀を代表する宗教学者ミルチア・エリアーデとともにいわゆる「シカゴ学派」を構築された学者で、米国の宗教学会の会長をつとめられた事もある著名人である。また、グラハム教授は、現在ハーバード大学の神学大学院長の立場にもあり、研究領域はイスラーム研究で、世界宗教の聖典の伝統と諸問題に関心をもっておられる。
両教授の基調講演では、現代の宗教学が西欧の概念によって世界の諸宗教を理解しようとして来た傾向を具体例をあげて鋭く批判され、これからの宗教研究の上にあらたなパラダイムを構築しよういう議論が展開された。両教授の発表は、日本の新興宗教のモデルとして、しばしば調査研究対象にあげられてきたわが天理教が、今回批判された欧米思考の研究方法の流れの中で、ここ一世紀ものあいださまざまな宗教学者の研究対象とされてきたことを思い起こさせた。その傾向を、和英に関わらず数々の研究文献を通して直接ふれたことのある筆者にとっては、とりわけ印象深い講演内容であった。
思い起こせば、筆者は1960年アメリカ留学から帰国して、欧米からの宗教学者や聖職者を天理教の神殿などに案内し、教理説明をめぐって彼等との質疑応答の体験を数多くもった。そのさまざまな経験を想起しながら聞き入った今回の記念シンポジウムの講演内容は、島薗進、東京大学教授の「現代宗教と宗教研究」、氣多雅子、京都大学教授の「現代社会と宗教哲学」の発表も加えて、まことに感慨深いものがあった。会場に参加しておられた、筆者と同じ体験をもたれたであろう日本の他宗教に帰依しておられる宗教学者も、同じような印象をもたれたに違いない。思い出は数々あるが、今回のシンポジウムで批判された従来の宗教研究の傾向から出たであろう極端な諸例をあげると、その極めつけは中山正善天理教二代真柱に向って、信者を引き連れて全員基督教に改宗しないかと驚嘆すべき発言をした聖職者もいたことである。また、神殿の礼拝場で甘露台の説明をする筆者に、背中を見せて始終外を眺めていた異宗教は否定すべきものと最初から盲信しているかのような失礼な原理主義者もいた。その礼儀を超えた徹底した信仰姿勢には、反面感心さえもしたほどである。さらに、1970年大阪万博の年、ローマ法皇の代理で訪日した際、天理の真柱宅にそのために建てられた日本間に宿泊したパウロ・マレラ枢機卿は、すばらしい聖職者との印象をもったが、天理教の人間の身体は神からの借り物であるという「かしもの・かりもの」の教理や「出直し」の教理など、キリスト教とは力点が異なる独自の教理を比較において説明する筆者に対して、あれもこれも全部聖書に書いてあるというそっけない回答が次々にかえってきたことなども思い出す。また、組織神学で著名なパウル・ティリッヒが、天理を訪れた印象を聞かれ「天理教は原始宗教の爆発である」とコメントした話はいまや有名であるが、その意味はさまざまに解釈されるとしても、その異宗教に対する彼等の思想的背景にあるものは、今回のシンポジウムで痛烈に批判された従来の欧米パラダイムの宗教研究の底流をなすものであったと思われる。
シンポジウムの後、宗教学会の特別セッションにも出席されたロング教授と二人で2時間程話し合いの機会をもった。教授とは17年前、筆者が『おふでさき英訳・研究』(天理教道友社刊)の最終稿を終えた直後に、氏の教え子であった村上辰雄君の紹介で天理で初めて会い、奈良ホテルに宿泊しておられた教授に明日までに原稿に目を通して頂きたいという無理な願いを快諾頂いたというご縁がある。今回も天理滞在中に「元の理」を読んでもらい、御意見をお聞きし、質問にも答えさせて頂いた。「元の理」は日本語では天理教外の学者からも学際的に研究され、「元の理」講座7巻(天理やまと文化会議刊)にも収録されているが、英文翻訳資料が極端にすくないのが現状である。求められる「こうき」の世界的ひろめには、その翻訳が絶対条件となる。
今回の記念シンポジウムや学会の特別部会においては、天理大学の宗教学科をはじめ、教校本科や天理教教庁海外部の若手による同時・逐次通訳者の活躍が注目された。1960年代の当時を顧みて、すべてにおいて隔世の感がある。学問を海外で研鑽させて頂いた神恩に報いる為にも、外国語による教理翻訳に止まらず、学んだ外国語とそれぞれの専門分野を通して、本教教理の展開をしていく気概をもって、世界のあたらしい宗教研究の橋渡しに貢献する仕事を期待したい。
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