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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


2004年11月号
「良心的兵役拒否と宗教者の立場」


 7月14日と16日の『朝日新聞』は、良心的兵役拒否について、「良心か義務か」という視点から韓国兵役論争を取り上げている。これまでは兵役の義務が良心の自由に優先するとして、拒否者はほとんど投獄されてきたが、今回は宗教上の理由で兵役を拒否した若者に、ソウル南部地裁は無罪を言い渡した。しかし、高裁は「良心の自由より国防の義務が優先する」として逆転有罪判決を行い、上告していた男性に懲役1年6ヶ月を言い渡したというものである。キリスト教や仏教など宗教界の代表は「良心的兵役拒否を認めてほしい」と記者会見で声明を読み上げ、地裁前では無罪に抗議し「国防の義務を果たせ」と叫ぶ退役軍人のデモが行われ、その写真を『朝日新聞』は大きく載せている。
 若者の良心的兵役拒否運動は、いま世界に急速に広がりつつあり、ドイツでは40%、イタリアでは30%の青年が兵役を拒否しているといわれる。宗教的、哲学的、あるいは政治・思想的な信条に基づいて拒否を主張するのだが、わが国でも日中戦争時にキリスト教徒が兵役を拒否して獄死するという燈台社事件があった。現在では多くの国で良心的兵役拒否は法制度として実現してきている。拒否者には社会奉仕など公共的任務に従事する代替服務を認めている。しかし、求められるのは兵役があろうとなかろうと、軍事服務より社会奉仕が世界を変えて行くという平和革新への前向きの強固な精神であろう。人道的武力介入などという新しく戦争を正当化する概念が出て来ているが、介入への決定には戦慄すべき危機が伴っていることを忘れてはならない。
キング牧師は、暗殺1年前にベトナム戦争への軍役について、アメリカの青年に向けて次のように語っている。
「ベトナムにおいてわが国が果たしている役割を明らかにし、その上で良心的兵役拒否の選択肢を指示しなければならない。(中略)そしてその選択肢を、ベトナムにおいてアメリカが歩んでいる道が恥ずべきものであり、かつ不正のものであると考えている全ての人々に、推薦したいと思う。さらにまた私はすべての徴兵年齢に達している牧師たちに、彼らに与えられている徴兵免除特権を返上して、良心的兵役拒否の立場を探究するように奨励したい。」
 徴兵のない、世界でも希有な平和国家に住む日本の宗教者は、ガンジーの非暴力主義に強い影響を受けたキング牧師のこの信条を、わが国の近未来を視野にどのように受け止めるであろうか。
 朝鮮戦争は1950年、ベトナム戦争は1960年に勃発している。1955年に筆者がアメリカに留学した頃はKorean war veteranと呼ばれた数多くの復員軍人学生が通学していた。彼らはもちろん授業料は無料で、友人の退役学生は月に150ドルの生活援助を受けていると言ったように記憶している。1米ドル460円のそのころの1セメスターの授業料は110ドル前後で、1時間の皿洗いのアルバイトは75セントが相場であったから、貧乏学生にとって、兵役を済ませば収入を得て大学を卒業できることは魅力であったろう。筆者にも1959年大学卒業を待っていたかのように、兵役出頭の通知が届いた。外国籍であっても、米国の永住権を取得していたから、徴兵免除の対象にはならなかったのであろう。あわてて大学院生として勉学を続けているから等という理由を書いて出頭を拒否したことを思い出している。
 ベトナム戦争ではカナダに越境した兵役拒否の米国の若者や脱走兵は12万5千人にのぼったという。「律がありても心定めが第一」と教えられる天理教者には、徴兵制度をたとえば代替服務を主張することによって超えるという方向性を、今から押さえておくという時代認識が求められる。

 
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