| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2004年4月号
「神より逃走する「人間の顔」」
古代ローマの雄弁家として知られるキケロは「顔つきは精神の反映だ」と言った。
また古代ギリシャではアリストテレスが人相学を信奉していて、
「顔」に現れる人間の性格特性について非常な関心を示していた。
額の狭い人は気まぐれだとか、丸みがあったり出張っている人は短気である。
凝視する眼は厚かましさを、まばたきをする眼はためらいを物語っているなどと延々と分類し、
さらにさまざまな動物との類似性を「人間の顔」に見い出して、かぎ鼻の人は鷹に似て残忍だとか、
数多くの例を挙げている。
ギリシャ人はその演劇に人相学の原理を取り入れて、
俳優はその特徴を現すために特定の「面」をつけていた。
大昔から人相学という風習は現代にもつづいている。
人相学の極端な社会的影響については、レズリー・A・ゼブロウィッツの著
『顔を読む』(大修館書店)のなかで驚くべき事実が紹介されている。
1772年に出版された人相学者ヨハン・カスパル・ラヴァターによる『人相学断章』という書物は、
ドイツ、フランス、イギリス、オランダ等で初版以来100年にわたって増刷されつづけ、
さらに著者の母国スイスでは1940年になっても2種類の現代版が出版された。
さまざまな言語を加えると総計151の版が出版されたと報告されている。
ダーウィンは艦長がラヴァターの人相学の影響を強く受けていたので、鼻の形のせいで、
危うくビーグル号の航海をしそこねるところであったとか、
大英百科事典第8巻には「顔から性格を判断する研究が流行しており、
多くの地域で人々は顔をおおって通りを歩いている」などとある。
「顔学」については、我が国でもさまざまな本が最近出版されはじめているが、
なんと言っても「顔」といえば、優れた精神科医であり、
現代世界のなかに奇跡のように立ち現れた詩人賢者で、
予言者でもあると名翻訳者佐野利勝に言わせしめた、
1888年ドイツ生まれのマックス・ピカートによる『人間とその顔』
(みすず書房、1959)を第一に挙げたい。
本文はピカートの独創的な深い思索による詩的表現に満ちあふれていて、
読者を新鮮な感動で揺り動かさずにはおかない。
ピカートには『沈黙の世界』や『神よりの逃走』という名著もある。
その中においても「人間の顔」にふれて
「人間の顔は、沈黙と言葉とのあいだにある最後の境界である。
つまり、顔は、そこから言葉が発生するところの壁なのだ」とか、
「人間の顔」は、
「それを創造した神の始源の像に信仰を通じて結びつけられている時にのみ、
神の似姿として保たれ得るのだ。
人間が神から離れるや否や、顔は像としての性格をすべて喪失する。顔は崩壊するのである」
などといった独自のひらめきが導く分かりやすいメタファーが随所に見られる。
ピカートの言う人間を表す「壁」としての「顔」は、
筆者が教語として考えている「扉」という言葉にも置き換え得るだろう。
鼻、口、額、眼、頬といった諸部分を総括する「信仰の顔」は「一つの像」であるが、
それに反して神より逃走する「顔」は、「単に外的にお互いの隣りに並べられている部分の総和」
に過ぎないとピカートは説得させる。
思わず「自分の顔」が神から逃走しつつあることを示す、
単に部分が集合した「顔」としてしか映ってないか、
部分が「一つの像」として総括された「信仰の顔」として映っているかを、
いま「鏡」でその素顔を確かめて見よと、ピカートの文章は急かしているような気を起こさせる。
|