| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2004年6月号
「偶像崇拝と教祖存命の理」
偶像という漢語は本来は人形を意味している。
その像が崇拝の対象となった場合は神像とか仏像などというが、とくに偶像という場合、
それは「真のものではない別の姿ないし中間に介在するもの」という意味合いを
含んでいるとされる(『世界宗教大事典』平凡社、1999年)。
ルネッサンス期にG.ブルーノが哲学用語として「本当のものを見えなくさせる先入見」の意味で、
姿とか像を意味するラテン語のイドラという言葉を用い、それが偶像と和訳された。
のちF.ベーコンが「人間の知性をとりこにしている偶像」を、種族の偶像、洞窟の偶像、
市場の偶像、劇場の偶像と分析したのは有名な学説として知られる。
イスラム教は、アッラーという唯一の人格神を信奉しているが、神の具象化を禁じ、
モスクには神像も図像もなく、キブラ(メッカの方向)を示すミフラーブ(壁龕)があるだけである。
ユダヤ教でも視覚的な偶像の崇拝は、比較的早い時代から禁じられていた。
宗教革命時代には、神像をめぐって大きな議論が巻き起こり、
結果としてカソリックは条件付きでそれを認める立場をとった。
しかし、歴史的には世界宗教はこぞって他宗教を批判、制圧、攻撃する時に偶像破壊を行い、
現在もそれが続いている。近くはタリバーンのバーミヤン仏像の爆破は好例で、
それはイスラム原理主義者の仏教があがめる偶像の破壊行為として一般に理解されている。
本来この事件の背景にはきわめて巧妙な政治的もくろみがあったが、それについては次の機会に述べる。
また洛陽に近い龍門の磨崖仏は、則天武后の顔をモデルにした巨大な廬舎那仏である。
日本にも中世において盛んに描かれた来迎図の中には、自分自身の姿を描き込む実例は数多く見られた。
そのなかに自存在を投影し浄土への往生を祈るのであろう。
蓮如は木像よりは絵像、絵像よりは文字、つまり名号がもっとも仏をよく表現するものとした。
しかし、阿弥陀如来があの世から迎えに来る浄土往生の様子を、言葉だけで唱えイメージするのは、
どうもたよりないと感じたのだろうか、来迎図の流行は聴覚で念仏を確認し、
視覚を通してその観想が救済力を倍加すると感じたことが想像される。
ところで天理教の場合はどうか。管見によれば、世界宗教数ある中で天理教ほど偶像崇拝に関心を
示さない信心はない。それはその教義の根幹に「教祖存命の理」という決定的な独自の原則が
あるからであり、偶像はその真実を疎外すると見るからである。
教祖中山みきが現身を隠された後の「おさしづ」にも
「影は見えぬけど、働きの理が見えてある。(中略)日々働いてい居る。案じる事要らんで。
勇んで掛かれば十分働く」(明治40年5月17日)と教えられる。
信者は勇んで人をたすけようとする行為と祈りを通して、教祖と心の内面で面談する。
したがって、単なる瞑想や祈りの対象としての可視的教祖像や画像は礼拝の対象には成り得ない。
礼拝の方向は人間が宿し込まれた「ぢば」という一点に収斂される。
その証拠として甘露台が神殿の中心に据えられ、それを囲んで救済のつとめが行われるのである。
教祖殿においては姿が見えない教祖と信者はあくまでも内面的に対話・面談するのである。
そのあかしとして教祖の不思議な働きに出会う
これが神の姿と教えられる。
自分がたすかりたいという願いや祈りは、存命の教祖との出会いを可能にしない。
偶像礼拝が行われないのは、この独自の天理教の救済観にある。
したがって、最近某週刊誌(04/4/29)が記事にした
「180万信徒が知らない天理教の“秘宝”....」と吹聴する教祖の肖像画や彫刻などには
全くといってよいほど関心がない。
その証拠のひとつに、半世紀以上の歴史を持つ天理教絵画展において、
教祖の肖像を描いた作品などが出品された例は一切見当たらない。
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