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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


2004年8月号
「日本開国とをびや許しの共時性を考える」

 

をびや許しは、天理教ではよろづたすけの「道あけ」といわれ、教えが四方八方に広がる
きっかけとなった安産の許しとして知られる。
嘉永7年教祖が三女おはるに取次がれたのをもって嚆矢とする。
奇しくも西暦1854年にあたるその年、日米和親条約が締結され、日本が世界に向けて誕生した。
2004年の本年は、この日本開国とをびや許しが出された年から数えて150年目の年にあたる。
その前年、嘉永6年(1853)6月3日ペリー総督率いる黒船4隻が浦賀湾内に投錨した。
黒船は6日江戸湾内小柴浦に進出し、9日ペリーは乗鑑していた軍楽隊を伴って久里浜に上陸した。
上陸するなり軍楽隊は大パレードを展開し、
そのすさまじく鳴り響く音量は「三味線千丁に匹敵した」と伝えられている。
この日が日本で吹奏楽が演奏された最初の日となった。


ペリーの率いる軍楽隊が勇壮な行進曲を奏でているちょうどその頃、
教祖の五女こかんは「なむ天理王命」の神名流しに十三峠を越えて浪速に出かけている。
その神名流しを勢いづけるかのように、ペリー軍楽隊の行進曲がその背後で高鳴っていたわけだ。
日本開国と天理教が大和盆地という母胎・閉鎖空間から、西方に誕生した年が劇的に合図立て合っていた。
人間宿し込みのぢば甘露台の西方は、「元の理」によれば、人間誕生における引き出しの守護の方位
(をふとのべの命)にもあたる。

このように考えると、嘉永6年の夫善兵衛の出直しや、中山家の母屋のとりこぼちは、
「にをいがけ」という新しい布教のかたち誕生のための、陣痛であり後産にも見立てられる。
出産・誕生には陣痛と後産が必須である。独創的思想や芸術、そして利他的行為の誕生にも同じことがいえる。
このようにひながたの道に暗示された真実は、時空を超えて普遍の大地を深く突き抜けている。
地底を這う真実の根を掘り切れと教えられるゆえんである。

開国150年を意識していたわけではないだろうが、小泉首相は、アメリカの外圧もあってか
わが国の平和憲法の律を独自の理屈で簡単に超えてしまった。
皮肉にも「律ありても心定めが第一やで」との神言を1人の政治家が象徴的に勇断実行したかのようである。
世界に映る鏡も色々にあるが、これも一面の鏡であろう。イラク自衛隊派遣は歓呼の声に送られず、
華やかな軍楽隊なしで寂しく行われたが、ここに到る推移は、
筆者に150年まえの日本開国の時代背景をさまざまに思い出させた。
いずれわが国にも国際人道復興支援と名のつく徴兵制度に似たものが復活してくるかもしれない。
また、グローバリゼーションの影響で外国というものがさまざまな形でわが国に侵入してくると、
どう対応するのかといった問題は、文化や経済だけの問題ではない。

自爆テロが拡散する現実のなかで、外的侵略や暴力による内的紛争といった事態も
決してわが国にとって絵空事ではない。「良心的兵役拒否」といった「律を超える心定め」についても、
いまから宗教者はそれぞれの教えに照らして真摯に議論し、心の準備をしておく覚悟が求められる。

現代はまさに日本にとって150年目の陣痛の時代とも言える。
をびや許し150年の年にあたって、よろづたすけの「道あけ」として教祖がこめられた真実を、
個々の信仰の実態に照らして、いまどのように甦らせることができているかと自問することが必要であろう。
ひながたの道は、それを語る者に、そこに示された事象の意味を現代に甦らせようとする意識が
欠落しているならば、単なる教史的出来事の羅列に終わり、信仰者にとっては致命傷となる。
ひながたの道は、過去に発してはいるが、現代から未来をも照射する時空を超越した
生きた最重要的指標であるからだ。

 
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