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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


2005年5月号
天理教建築史に見る洋館と近代和風建築


 天理教における建築は、親神の人間創造の目的である「陽気ぐらし」世界実現を目指すものであるから、その目的は人間救済にある。建築の規模やデザイン、そしてその機能や耐久性も相対的に重要視されるが、まずその建築に参画する人たちが、それぞれの立場を通して親神の思し召しに添う心をつくりあげていくことが信仰上最も大切とされる。このことを指して「心のふしん」に掛かると教えられる。天理教の重要な教語には、真柱、荒木棟梁、用木など建築関係の言葉が数多く見られる。あえて「心の建築」ではなく「心の普請」といわれるのは、形の普請を行う通常の建築に対応して、建設に参加する信仰者の側の「心のふしん」に建築の信仰的焦点が置かれているからにほかならない。
 天理教における普請史は、嘉永6年の中山家の伝統的母屋のとりこぼちに始まる。そのとき教祖は「これから世界のふしんに掛かる。祝うて下され」と申され、その11年後の元治元年(1864)勤め場所の普請がついに開始された。「心のふしん」にも象徴としての母屋のとりこぼちが条件となるが、一方ふしんを完成するためには目指すあらたな心のデザインが要請される。とりこぼたれるべき母屋の象徴的解釈は信仰者個々人の悟りにゆだねられているが、母屋のとりこぼちは、単なるあらたな建築のための破壊を意味しない。とりこぼたれた母屋の残材は別の場所に運ばれて再生利用されている。この史実が暗示する真実については、あまり語られたことがない。残材利用は資源のリサイクルであるが、見えない心のリサイクルとはなにか。大切なことはふしんに際して伝統的なものの中から何を残し、何を捨て去るのかを正しく判断する鋭いバランス感覚であると思われる。
 天理教の建築史は、日本における近代宗教建築史の中でもきわだっている。礼拝の目標であるぢば甘露台を八丁四面に囲むおやさとやかたは、建築空間の概念を教理的に規定し、近代和風建築の粋として世界に類例を見ない独自の宗教的空間形式を生み出した。日本の近代建築は、西洋化の中でその建築が位置づけられ、その特徴を捉えることから始められることが多いと言われてきたにもかかわらず、現実には洋風建築よりも和風建築が圧倒的に多く建てられて来た。近代和風建築の調査を進めてきた村松貞次郎は「これは日本近代建築史の大きな空白である。というよりは日本の近代建築史が、まったくその反面を欠いている」と指摘している(「近代和風の歴史」『新建築』新建築社)。
 天理教における洋館は大正13年竣工の「若江の家」を嚆矢とする。外観は洋館であるが煉瓦造りではなく素材は木造・モルタルである。その内部は和室と洋室がほぼ均等となっている。和式と洋式の調和の中に伝統と革新の共存思想が見られる。同様の発想が後に東京帝国大学総長を勤めた内田祥三の設計であるコンクリート造りの現天理高校の校舎建築にも活かされたのではないか。内田は昭和普請や、おやさとやかたの建築顧問としても創設者・中山正善2代真柱の相談役となった。昭和12年に竣工した天理高校の校舎は入母屋屋根の平側に三つの美しい千鳥破風を並べている。この様式が戦後おやさとやかたのモデルとして採用された天理建築の屋根のシンボルとなった。「若江の家」に続いて、天理外国語学校、図書館、印刷所といった洋館群と昭和普請の木造建築が次々と天理に現れたが、それらはすべて創設者がたどり着いた、独特の近代和風建築様式を持つ「おやさとやかた」として、世界の歴史的宗教建造物に昇華していったのである。

 
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