| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2005年6月号
ツタンカーメン王と薬師如来
我が国最初の建築史家として知られる伊東忠太は、法隆寺を遥か西域のギリシャにつながる系譜のなかに位置づけた。法隆寺の柱に見られるエンタシス(胴張り)が、ギリシャの神殿の柱の影響を受けているという「発見」は、シルクロードのロマンを増幅させずにおかなかった。明日香村の高松塚古墳の壁画を彩る濃紺色の顔料に、アフガニスタン産のラピスラズリが使われていたという最近の新聞報道にも感動させられた。アフガニスタン産のラピスラズリはエジプトのツタンカーメン王墳墓発掘の際にも数多くその棺の中から発見されていたからでもある。つまり、日本とエジプトの両国は、アフガニスタンを発信地として、ラピスラズリという不思議な石で結ばれていたということになる。
ラピスラズリはダイヤモンドのような透明性の高い「宝石」というより、濃紺紫色で専門的には「貴石」の範疇に分類される。金の筋が表面に浮いて見えるので「青金石」ともよばれ、金、銀、珊瑚などとともに「七宝」の一つにも数えられ、日本語では「瑠璃」と訳されている。古代ローマの博物学者プリニウスは、ラピスラズリを「星の煌めく天空の破片」とその神秘性を表現したという。ラピスはラテン語で石を意味し、ラズリはペルシャ語で青や空を語源として持つ。中近東のイスラム教国では、モスクのモザイクの壁などにも多用され、法華経や阿弥陀経にも登場する。正倉院御物の円鏡の背面にはこの石が象嵌されているし、空海もラピスラズリを守護石としていたらしい。またモーゼの十戒が刻まれたサファイアの板は実はラピスラズリであったとか。
このアフガニスタン産のラピスラズリは、紀元前3000年頃のエジプトの墳墓から数多く発見されたのでも有名である。つまりこのことは5000年前頃からラピスラズリを採掘し運搬する人たちがアフガニスタンに居住し、採掘地とエジプトを結ぶ内陸ルート「瑠璃の道」が存在していたということになる。「絹の道」より3000年も古い。1922年王家の谷でイギリス人の考古学者ハワード・カーターによって発掘された、あの黄金のマスクで有名なツタンカーメン(1347〜1338BC)の棺には、太陽と再生のシンボルであるアフガニスタン産のラピスラズリに掘られた昆虫スカラベが数多く発見された。黄金のマスクの頭部にあるオシリス神の鷹の頭を持つ息子ホルスの眼球もラピスラズリに掘られている。エジプトではラピスラズリを天空と冥界の神オシリスの石とする文化が誕生していたのである。
興味がそそられるのは、ツタンカーメンと薬師如来の眼球にラピスラズリが使われているという点である。薬師如来は正式には薬師瑠璃光如来と呼ばれる。仏教僧もこの瑠璃を見つめ精神の集中を図り、粉末を薬や顔料としても用いていた。それだけではない。薬師の文字が示すように一般民衆は病苦から逃れる現世の利益を求めて、この如来を医薬の効験を示す仏として広く信奉してきたのである。渡辺光一はその著『アフガニスタン─戦乱の現代史』(2003)を、アフガンに生まれたラピスラズリが薬師如来に深くつながり、日本人は様々な形で救済を受けてきた。その有形無形の「仏の慈悲」を、今こそアフガンの大地とそこに暮らす人々にお返しすることが「人の道」であろうと結んでいる。ちなみに天理教では、方位は同じく東、身の内では飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護を司るくもよみの命の裏守護が、薬師瑠璃光如来の働きに対応するとも伝えられる。
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