| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2005年9月号
「復元」60年の教史的意義を考える
「復元」60年を記念して、8月下旬おやさと研究所は一昨年の講座に続く特別講座「教学と現代II」を開講する。講座のテーマは「天理教学の温故知新─歴史を振り返り、現代に応答する教学を考える」である。研究所の研究員が現代社会が抱えるさまざまな問題に光を当て、実際に天理教学がその現実の世界が抱える問題に如何に肉迫しているかを検証することが期待される。温故知新をかかげているが、それは単に古きをたずねて新しきを知るという知識のレベルに止まるものではない。温故とは既知のことを再認識するにすぎないからである。知新が温故のポイントで、いくら古きをねほりはほりたずねても、現代の新しい道が未来に向けて啓発されねば知新の意味はない。
いま我々に求められるのは、「知識」のレベルを超えた「見識」、つまり問題を解決するときにまず必要とされるこうでなければ成らぬという鋭い見解と判断力である。見識とは「おさしづ」で強調される「仕切り知恵」であろう。戦後ながらく政財界の精神的支柱であった儒学者安岡正篤は、この見識に基づく判断には人格、体験、悟りなどが内容となって出てくるという。しかし、見識が高ければ高いほど、それに対して低俗な人間ほど反対するし無関心を装う。そういった中で知識・見識から導きだされた判断を毅然として実行するためには、さまざまな反対、妨害を断固として排し、行動に踏み切る「胆識」というものが必要だと述べる。胆識とは強固な決断力を持った「仕切り根性」をいうのであろう。胆識がなければいくら優れた見識を持っていてもものごとは優柔不断におわる。胆識、つまり「仕切り根性」が、現代から未来へ具体的な実践を呼び込むのである。「温故知新」の方向はあくまでも現代を主軸とした未来にあることを忘れてはならない。
天理教学の知識から得た見識による解釈力と判断力は、あらたな実践を呼び込まない限り、それは「絵に描いた餅」であり、現実の世界が求める飢えを満たすことが出来ない。思想であれ実践教学であれ、自他ともに飢えを満たす事が出来ない学問を「死学」という。天理教学は、その意味で他の諸学問よりこの点が厳しく問われなければならない。60年は還暦であり、生まれた干支に立ち還る旬であるから、今年は「復元」の「出直し」の年にもたとえられる。つまり、「復元」の歩みが天理教の歴史において、いま戦後第二期のスタートラインにさしかかっているという捉え方である。「世界に鏡」を見る透徹した精神を錬磨し、緊迫した時代認識を梃子に勇気ある発言と行為が求められる。
あらたな戦争と絶え間なく繰り返される地域紛争、そして欧米への憎悪を糧にアメーバのように各地に増殖するテロリズム。拡大し続ける貧富の差や疫病、そして環境破壊や自然災害がもたらす過酷な世界事情を考えると、これから始まる「復元」第二期は、「復元」第一期のようにはいかないように予測される。それだけに第一期60年間の教学における思考パターンの単純な反復は許されないであろう。激変する現代に応答し、思考の反復から展開へ、あらたな創造的領域に天理教学は挑戦・突入しなければならない。過去60年間の「復元」第一期時代において先人の努力によって与えられた教えの知識の蓄積が、現代の世界にどのような「見識」と「胆識」をもって活かされるかが厳しく問われている。講座「教学と現代II」が突きつける現代に応答する「温故知新」とは、こういった歴史観と理念に立って進められることが望まれている。
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