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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


2006年3月号
玄奘三蔵と「身代わり」申、赤衣と証拠守り

『教祖伝参考写真集』(天理青年教程第29号)に教祖「御手づくりの品」として紹介されている赤い「ぬいぐるみ」の写真が前々から気にかかっていた。それはこの写真が中国の敦煌楡林窟において見た「玄奘三蔵取経図」壁画の下辺に描かれた玄奘が引く白馬の背から垂れ下がる布切れにぶら下がっていた赤い「ぬいぐるみ」と酷似していたからである。これは庚申の「身代わり」申ではないかというのがその時筆者が抱いた直観であった。帰国後、早速確認のため奈良町資料館の奈良庚申講本部を訪れた。驚いた事には、そこには筆者が見た玄奘が引く白馬の鞍からぶら下がる「身代わり」申の模写が掲額されていた。一方、玄奘「身代わり」申に酷似する教祖の「ぬいぐるみ」は、辻靖雄本部員宅に所蔵されているものである。明治7年、教祖が赤衣を召し始められた頃、辻忠作が直に頂かれたものと推測される。
 奈良町資料館で入手した説明書によると、「身代わり」申のルーツは敦煌にあり、シルクロードを通って奈良に辿り着いたのではないかと書かれている。同じ「身代わり」申は、1987年に開かれた「大英博物館所蔵 日本・中国美術名品展」の展示品の一つに、敦煌石窟の祭壇等にかける祭具として使われた唐代の垂れ幕についていたという。資料館にそのレプリカが掲額されている。この「身代わり」申も、手足をくくり、腹に帯をしている姿も庚申「身代わり」申と瓜二つである。白馬を挟んで一匹の猿を従えた玄奘を描く楡林窟の原画「玄奘三蔵取経図」は、紀元800年頃の作といわれているから、これが1036年に著わされた『西遊記』のモデルとなったのではないかといわれる。
 庚申の信仰とは、干支の一つである庚申の日に徹夜して眠らず、身を慎めば長生きできるという信仰である。道教では、人間の体内には三尸というものがいて、庚申の日に天に昇って、寿命を司る神に人間の過失を報告し早死にをさせようとすると説く三尸説があった。日本には8世紀の後半に伝わったといわれる。10世紀には天皇を中心とする庚申待が宮中で恒例として行われ、王卿や侍臣たちは酒饌を賜り、囲碁、詩歌、管絃などの遊びをしながらの徹夜であったという。近世に入ると各地で庚申講が結成されて、もっとも一般的な講集団となり、村落の有志は庚申の日の度に宿に集まって共同飲食をしながら世を徹して談笑した。この習慣は一部根強くいまの大和の村落にもみられる。また庚申信仰は猿と深く結びつき、道祖神と習合したり、三猿が庚申塔に刻まれたりした。このようにして玄奘三蔵の元お守りであった「ぬいぐるみ」の申は、庚申さんのお守りとなった。身につけておけば災難を代わりに受けてくれる、申の背中に願いを書いて吊るしておくと願いを叶えてくれるという次第である。
 天理教では存命の教祖の赤衣の布切れを「お守り」とする。それは一生に一度、本人がおぢばに帰ることにより下付されるものであるから、「証拠守り」ともいわれる。「心の守り」が「身の守り」と教えられ、それは記念品やお土産ではなく、悪難よけとして軒先にぶら下げたりするまじないの類いではない。信心の営みにおいて存命の教祖に導かれ、共に歩ませて頂くという意味が赤衣の「お守り」には籠められているのである。「ひながたの道」において「身代わり」になられた教祖生涯の思いが、御手づくりの品である「ぬいぐるみ」や、玄奘三蔵や庚申講の「身代わり」申の「裏守護」の姿を通しても伝わってくる。「元の理」における「めざる」一匹のイメージもひろがる。

 
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