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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


2006年6月号
「やしろ」と「やしき」を考える

 天理教において聖地である「ぢば」に帰るとは、「魂」がその宿し込まれた元の「屋敷」に回帰する事であり、由緒ある神社・仏閣や教会に詣で祈る事とは意味を異にしている。信仰者は己の「魂」が宿し込まれた元の「やしき」において、月日の「やしろ」である母なる教祖に出会うのである。
 「社」(やしろ)は「家代」を意味し、さらに「屋敷」を意味する言葉であった(『俚言集覧』)。「やしろ」は「やしき」(屋敷)をも指していたのである。天理教においても「ぢば」に帰るとは「やしき」に帰ることを意味していた。四方正面「鏡やしき」の中心にある人間宿し込みの地点「ぢば」は、月日の「やしろ」である教祖の「魂」が発現した場所である。立教における「場所の因縁」の場所とは、月日の「社」である教祖「魂の因縁」が時満ちて発現した中山氏という「屋敷」を意味している。一方、「旬刻限の理」とは、「やしき」という空間に「やしろ」を現前せしめた時間の到来を指している。「にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで」(ふ4:55)とはこの意味である。
 江戸末期の国語辞書である『俚言集覧』には「ヤシロもヤシキも本源の義は同じことなり」とあった。しかし、「社」という言葉は神の宮居、「屋敷」は地所の構えを意味することになる(「『元の理』言語の特異性─その表現論的分析」太田 登)。つまり「やしろ」という言葉は、「社」と「屋敷」という言葉に分化したのであった。一方、「月日のやしろ」という言葉は、本来親神が入り込んだ教祖の身体を指していたが、教祖が現身を隠されてからは「存命の理」を象徴する言葉となった。それに対して「やしき」は、「かみのでんぢ」(七下り目八)であり「このよふをはぢめだしたるやしき」(ふ6:55)であり「かんろふだいをすへる」(ふ10:79)、「そふぢ」(ふ2:18)を急き込まれる「屋敷」であった。「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」「つぎ足しは心次第」という言葉は、「やしろ」の不変性と不可視性、「やしき」の可変性と可視性を説いている。用木の心の普請を目指す可視的な「屋敷」づくりは、「社」である教祖を施主に見立てて、「真柱」と「用木」が永続化することにたとえられる。しかし、「やしろ」の魂が語る神意実現を目指して拡張し続ける「やしき」普請の課題を解決することはむずかしい。このこと、つまり「やしろ」と「やしき」というキーワードがかもし出す教理的緊張感は、明治16年本の「こふき話」を太田説に従えば「むつかしいこと」として暗示されていたという見方も成り立つ。
 なぜ「むつかしい」かといえば、「やしろ」と「やしき」の両概念を神と人間、聖と俗などといった対立的論理ではなく、通底する教理として繋げる事が「むつかしい」のである。つまり、「元の理」の底流には、陽気暮らしは神と人間によってなされるという事が前提としてあるからである。
 「やしろ」の「扉」を開いて、教祖が人間世界に出るという表現は、「やしき」造りにおける神人共同を意味している。このことは、神と人間の関係を対峙して捉える一神論的宗教の聖地建設とは異なっている。「やしろ」と「やしき」はもと同義であったが、それが別個の言葉に分化したように、教史における「やしろ」と「やしき」の現実的ありかたも変化してきた。「やしき」の変化拡張は、一つには教団発展の証でもあったが、両者の距離をひろげることにもなった。この教史に見られる不可避的逆説を、教学的に如何なる信仰的回路をあらたに築いて乗り越えるかは、将来深刻な問題となろう。

 
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