| 「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫
2007年5月号
スーフィーの旋回舞踊とつとめの地歌
2007年3月、筆者は機会があってトルコ中部に位置するカッパドキア地方をおとずれた。ギョレメ渓谷の丘陵地帯には、岩を掘り抜いた洞穴に旧石器時代から人間が住んでいたという尖塔状になった円錐形奇岩が林立している。紀元4世紀に迫害を逃れてやって来たキリスト教徒たちが掘って造った洞窟内の礼拝堂や修道院は300以上もあり、7階まで発掘された数カ所の地下都市には1万人以上の人たちが生活していたといわれる。
カッパドキアの西北にセルジューク・トルコ族のキャラバンサライ(商隊宿場)・サルハンがある。そこに1249年に建てられたというアヒ・ユスフモスクにおいて、深夜イスラームの神秘主義で知られるスーフィー教団の儀礼に参加する機会に恵まれた。筆者が鑑賞したのは、アフガニスタンのバルフに生まれた詩人メヴラーナ・ルーミーを祖師と仰ぐ、有力なデルヴィッシュ宗団の現在トルコに伝承されているメヴレヴィー教派の宗教舞踊と音楽である。儀礼の基礎はルーミーの詩の朗唱とセマーと呼ばれる旋回舞踊から構成されている。地天を示す方向に左右の腕を上下に掲げて、頭部を左方にかたむけ、10人の修行者の舞い手が円となり、延々と吟唱者の朗唱と伴奏音楽にのって旋回しつづける。規則的な旋回や回転は、ミクロの原子からマクロの惑星地球の自転や公転はいうまでもなく、季節の巡り、身体内の血液の循環にみられるように、自然に通底する生命を可能ならしめる基本的現象である。宇宙が回転するというその根源的原則に、舞踊と音楽をとおしてデルヴィッシュと呼ばれる修行者は、旋回舞踊を儀式の中核とし、宇宙のリズムと内的に共振しようとする。その舞踊をとおして自我意識から解脱し、神人合一の神秘体験に至ろうとするらしい。儀式の初めの舞い手は両手を胸に交差させて挨拶をする。それは天地が二つ一つである象徴的動作との説明であった。つとめの第2節「地と天とをかたどりて、夫婦をこしらえ」の「こしらえ」に対応する動作とまったく同じ動作である。伴奏楽器はネイという葦笛、ケメンチュというギターに似た伴奏リュート、ベンディルというタンバリンとボンゴに似た小太鼓であった。リズムも音域もつとめの地歌にちかく、緊張せず自然にうけ入れることができた。
セマーの旋律は単調そのものに最初は思われたが、だんだんと聞き慣れるにつれて、微かな即興によるズレとゆらぎが感じられ、音調が聴覚をとおして精神に内面化していくのが感じられてきた。リズムの周期は短いので2拍から多いので120拍にも及ぶという。耳を澄まして音響効果抜群の回教ドームの薄暗い灯りのついた舞台のなかで、その音楽を聴き、旋回舞踊に目をこらしていると、旋回してない鑑賞者である当方がめまいを感じるほどであった。西洋音楽とは異質な東洋音楽の微妙な川の流れを思わせる音調の中から、微かに「みかぐらうた」の「よろづよの」出だしと「なむ天理王命」の神名をとなえるに似た調べが突然伝わってきたと感じた瞬間に、意識が振り出しに戻った。とくに「をびやつとめ」の旋律において、「なむ天理王命」の祈りが繰り返されるつなぎの間に発声される「突き上げ」的唱法に共鳴する音色のながれは、両儀式が夜の暗闇の宗教建築空間においてなされる故か、その音律には通底する雰囲気が重層的に感じられた。
著名な民族音楽家・小泉文夫が、天理教のつとめの音階は、日本土着の旋律というより、ユーラシア大陸につながる高い文化の音楽的基層に繋がっているという意味が、奇しくもカッパドキアで納得されたような不思議な感覚をあじわったのである。
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