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「グローカル天理」巻頭言集 井上昭夫


第五巻 2号
「人間の顔」の誕生と「元の理」


この世の元始まりは泥の海
その中よりも泥鰌ばかりや
その内に魚と巳とが混り居る
よく見澄ませば人間の顔
それを見て思いつたは真実の
月日の心ばかりなるそや
この者に道具を寄せてだんだんと
守護教ゑた事であるなら
(ふ6:33〜36)


人間創造の親神の思いは、見澄まされた「人間の顔」に始まっている。したがって、「人間の顔」の意味が
親神によって認知されなかったならば、人間の創造はなかったと考えられる。親神によってよく見澄まされ
た「人間の顔」は、子どもの顔であったか、おとなの顔であったか。黒人であったか、白人であったか、黄
色人種であったか。陽気な顔であったか、深刻な顔であったか、素直な顔であったか。

「元の理」の原本となる各種こふき本には、「人間の顔」という言葉が「おふでさき」と同じ文脈の中で見
られる。ところが説話體十四年本(喜多本)では「人間の面」と記されている。後者は「かぐら面」を連想
させる表現との印象を受ける。面はマスクであるからそれ自体は不変であるが、かぶる人のしぐさや身ぶり
によって伝達される意味が異なって見える。能面などはその典型であろう。甘露台づとめの人衆10人はそれ
ぞれ「面」を着用し、十全の神の守護を代行身ぶりをもって表現する。手ぶりが重要視されるのは当然であ
る。

一方「おさしづ」においては、「顔」ということばは30数回も見られるが、その中に次のような注目すべき
一節が見られる。

「さあ尋ねる処、顔の理と心の芯の理と、これ二つ区域からなる。放って置けんというは
 顔の理、芯に理あれど顔に理無い。これ心に持ってから治まり難くい。これ眞に聞き分けにゃならん。」
(さ34/11/24)

ここでは「顔の理」と「心の理」があたかも対応するかのように述べられながら、その間に生ずる上級と部
内の教会事情の治め方が「顔の理」という比喩をもって語られている。 人類進化の過程で「人間の顔」は大
きな変貌を遂げた。解剖学用語では「顔」は「内臓頭蓋」とよばれ、一つの「臓器単位」として扱われてい
る。それは「顔」の筋肉が、進化の過程における魚類の鰓腸の「呼吸内臓系」に存在していた「内臓筋」に
由来しているからだといわれる。したがって古来から、顔面に現れる顔色や表情は内科診断では特に重要視
されてきた。内臓筋の色調や様子はそのまま「人間の顔」に最も良く現れるからである。

「人間の顔」は咀嚼、表情、嚥下、発声の4つの複雑な、筋群からなっているが、それらは人間の心遣いや
感情の動きと対応し、「人間の顏」は精神神経活動を表現する器官として個体の独自性を自ら示すものとな
った。 「元の理」にも関心をもつ著名な生命生態学者三木成夫によれば、胎児の世界をヘッケルの進化の
系統樹にそって、人間から逆に順を追って太古に遡って行けば、「人間の顔」の原形が見られるという(対
談「生命記憶と元の理」『胎児の生命記憶 ネオテニー』ドルメン2)。

ムカシホヤの海中をゆらゆら泳ぐ動きが「頭進」をもたらし、「鰓腸」が成立した。「鰓腸」とは「鰓穴を
もつ腸管」のことであるから、「顔の誕生」は「鰓穴を腸管に取り入れた」ことによって始まったというわ
けである。したがって、顔の始まりは口であったいうことになる。視角の要である「眼」は光に対する生体
反応によって発生し、脳が突出した器官である。「よく見澄ます」という視覚用語も「顔の誕生」と切り離
しては考えられない。マイケル・ガーションの『セカンドブレイン−腸にも脳がある!』(小学館2000)
もベストセラーになっている。イラクにおける「日本の顔」も喧しいが、「自分の顔」についても内面から
「見澄ます」ことの大切さを、こふき本が語る「人間の顔」は暗示しているように思われる。

 
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