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図書紹介(『グローカル天理』07年6月号掲載)
天理大学人間学部教授
荒川 善廣 Yoshihiro Arakawa

『中山みき「元の理」を読み解く』 
井上昭夫、日本地域社会研究所、2007年

  天理教の根本教理が集約されている「元の理」は、過去の事実を記述したものではなく、「理のはなし」である。従来、この「理のはなし」は、「つとめ」の理ばなし、「たすけ」の理ばなし、「成人」への理ばなしという視点から理解されてきた。本書は、これらの視点を踏まえつつ、さらに「ひろめ」の理ばなしという視点から「元の理」を読み解こうとする試みである。
 著者によると、本書はもともと、前作『「こふき」のひろめ―「元の理」天理教学研究の展開』が予約出版で一般に流布することがなかったため、改題改訂をおこない、「『元の理』から現代を読む」の一節を加えて、新版として出版されたものである。
「元の理」を「読む」という行為について、著者は、すでに完成している一定の考え方を尺度とし、その枠内の知識にたよって理解することではなく、そのような束縛を打ち破り、捨て去ってゆく作業であると述べている。つまり、そうした新しい視点から、「元の理」の理解を学際的に進めていくと、その眼前には時代の先端を開拓する諸学問が助けとなって、広大な天理教学の地平が開けてくる。実際に、本書巻末の参考文献の項目を見ると、天理教学をはじめ、宗教学、哲学、神話・民俗学、心理学、動物学、生物論・進化論・発生論、日本・東洋思想史、経営学、言語学・歌学、比較文化論、宇宙論、環境・生態学、人間学というようにすこぶる多岐にわたっている。
 本書は、このように多方面にわたる研究分野の文献を消化し、また専門家との議論を通して、とくに「ひろめ」の理ばなしという視点から、著者の年来の「元の理」研究を集大成したものである。
 構成は大きく四つの章に分かれ、それぞれの章には数本の論文やディスカッションが収められている。まず、第一章「ひろめの理ばなしとしての『元の理』」では、「元の理」が「ひろめの理ばなし」である所以がさまざまな角度から論じられている。たとえば、「元の理」は、教内にあっては、「たすけの理ばなし」として収斂し、教外の世界にあっては、「ひろめの理ばなし」として拡散する。「元の理」に啓示された、親神の人間救済の意志と、その守護の理は、この二つの方向に向かって同時に働くのであって、後者をおろそかにすることは、「元の理」の世界性を自ら否定することになる、と言われている。
 第二章「『元の理』の生態・環境論」では、「元の理」冒頭の「泥海」を物理的実在とみなした上で、その中にいたとされる「どぢよ」をはじめとする水棲動物について文化・生態論の立場から論じ、さらに、環境倫理、エコロジーを「元の理」から考察している。著者によると、最近の文明史論的傾向は、人類の成長が自然の変化と相互に対応しているという「元の理」の教えを、さらに深く理解する智慧を提供してくれる。しかも、「元の理」には、コスモロジー(世界観、救済観)、テクノロジー(雛型、道具)、そしてエコロジー(人間と自然の生態的関係)の三点がセットになってこめられているので、その中には、人類が直面している環境問題を解くカギが確実に存在しているのである。
 第三章「『元の理』の思想を語る」は、すべてディスカッションから成っている。教内有識者との討論は「出直し」についてのみで、他のテーマ、すなわち「現代思想と『元の理』」、「生命記憶と『元の理』」および「新・有神論としての『元の理』」については、著者が国内外の哲学者や思想家との間で交わした議論が置かれている。これら教外の学者、研究者との議論を通して、「元の理」思想のもつ普遍性の一端が浮き彫りにされている。
 第四章「『元の理』の応用天理教学」は、分量が最も多く、本書の過半を占めている。黙示的解釈や宗教多元論的解釈、さらには比較文明論的解釈など、とくに異宗教との対話を意識した議論が重きをなしている。これは、「裏守護」研究が異宗教との対話を促進し、天理教教理の独自性を普遍化する一方で、その教えの包容性をグローカルな形で提示することができるとする著者の信念に基づいている。これを裏打ちしているのは、「元の理」は「裏守護」の説き分けを通して、人類のあみだした多様な文化・文明と繋がっており、ひいては世界の諸文明はことごとく「元の理」の原点である「ぢば」から発しているとする教理解釈である。
さらに、活きた天理教学は、聞き慣れた過去の教理解釈の反復からは生まれてこない。とりわけ、「元の理」研究には直観が必要だと言われている。というのも、直観に裏付けされていない「元の理」研究は、ひらめきによる個性に欠けていて魅力がないからである。もちろん直観したことを言語化するためには、理性による表現力や論理性といったものが欠かせないが、その場合でも、新しい学問の発見や思想を援用して、新鮮な言語表現やレトリック(修辞法)を試みなければ、教理が現実の世界に鋭く切り込んでいくことはできない。このようなわけで、著者は、「元の理」における親神の十全の守護を、「ひろめの理ばなし」の視点から解釈し、斬新な着想を持って教学を展開すべきであると主張する。まさに、社会・政治・経済事情やさまざまな世界の事情も、ひろく「元の理」を通して解釈することが迫られている。
こうした著者の立場および活動は、教内外の「元の理」研究を大いに活性化し、「元の理」という普遍思想を世界に広める原動力となっている。今後、「元の理」研究に従事しようとする者には、本書に述べられたことを踏まえ、その上で、それぞれの専門分野に深く分け入り、そこで得られた知見や表現を再び「元の理」解釈に適用するという根気が求められる。
最後に、「元の理」研究で見逃してはならない重要な点を指摘しておきたい。それは、「いさなきいゝといざなみの みのうちよりのほんまんなか」の地点と言われている「ぢば」に関することである。「ぢば」の理が解明されなければ、「ぢば」を取り囲んでおこなわれる「つとめ」の理も了解されず、つまるところ、親神が教祖を通して元初まりの真実を明かされた甲斐がなかったということになりかねない。「元の理」で示された十全の守護の理は「一切現象の元」であるから、この世のあらゆる現象は十全の守護によって成り立っている。それゆえ、それぞれの現象を研究する専門の学問分野は、それぞれに「元の理」解釈に適合する側面を持っているといえる。だが、元初まりの「泥海」や「うを」や「み」をこの世の物理的実在、つまり現象としてとらえるとき、「ぢば」の説明はきわめて困難になる、というのが評者の意見である。


図書紹介(『グローカル天理』07年7月号掲載)
おやさと研究所教授
金子 昭 Akira Kaneko

『天理教の世界化と地域化−その教理と海外伝道の実践−』
井上昭夫、日本地域社会研究所、2007年


 異文化のただ中で、日々、布教・伝道に格闘する者が天理教学に期待するものは、自分たちの布教・伝道を奮い立たせてくれる実践的「活学」としての天理教学である。
まさにそうした「活学」の書が本書である。著者の布教体験に根ざした種々の体験的エピソードやその思想的掘り下げは、実にそれだけでも読み応えがあるが、本書ではさらに、ありとあらゆる領域に踏み込み、お互いに異質なものを思いもつかない仕方で結びつける想像力が縦横に駆使され、意表をつく展開もまた随所に盛り込まれている。読者は、それぞれに伝道や求道のヒントを汲み取り、実践や教学への意欲をかき立てられずにおれなくなるであろう。本書は、布教者にも教学に携わる者にも、文字通り「活」を入れてくれる、力に満ち溢れた「活学」のテキストなのである。
 まず『グローカル天理』の読者諸氏には、本書をじっさいに手に取って読んでいただきたい。そうすれば、天理教が世界へと羽ばたき、地域へと土着化するために、著者が実にさまざまな教学的実践を模索し展開しているかが、実感的にも分かるだろう。
それゆえ、ここでは本書の内容をそのままなぞった紹介をすることよりも、私はむしろその根本にある核心的な部分だけを述べておきたい。それは、いわば本書をつらぬく著者の原点ともいうべきものである。私の見たところ、それは二つある。一つは著者自身によるシンガポール伝道体験であり、もう一つは井上「元の理」学である。この両者があいまって、本書をして迫力ある天理教実践教学の書となしているのである。
 まず、第一の点。これは本書の第1章の最終節「シンガポール伝道体験記」の中に記されている。著者は足かけ7年にわたりシンガポール伝道に尽力。その過程で、日本文化や日本語教育の他、また音楽(吹奏楽)やスポーツ(柔道、剣道)などの間接的手段をつうじて、現地の人々に天理教になじんでもらおうと努めてきた。それはひとえに自立海外伝道を模索する道筋であった。しかし、その成果がじゅうぶんに成就されぬまま帰国せざるをえなかった。
だが、この「残念」の体験こそ、海外伝道の自立化戦略の必要性に目覚めさせる契機となった。「残念」にも積極的な前向きの「力」(残念力?)がある。これが、その後のインドやアフガニスタンでの活動を経て、現在、東アフリカでの伝道の夢を駆動させている力となっているのである。(東アフリカ伝道については、第3章全体にわたり、とくにNGO活動と対比しながら、その歴史や現況、そして著者自身の取り組みが述べられている。)
 次に、第二の点。これについては、本書とほぼ同時に刊行された姉妹編『中山みき「元の理」を読み解く』に詳細に展開されているので、こちらもあわせて参照していただきたいのだが、本書で中心的に展開されるのは、「ひろめ」の理話としての伝道学的側面である。これは、本書第2章の中の最も長い節「海外伝道ピラミッドモデルに見る発展段階の諸相」に、生き生きと表されている。
 そもそも「元の理」は、時代的にも地域的にも限定されたローカルな表象素材を用いて語られたグローバルな世界救済思想である。これをどう読み解いて布教・伝道につなげていくかが、著者の根本的な探求姿勢である。「究極の教え」を標榜する本教ではあるが、自らが成立し発展してきた日本固有の社会的・歴史的・文化的背景という「卵の殻」とも無縁ではない。この卵の殻を後生大事につけたまま、海外で布教して成功したといっても、それはただ異郷の地に日本庭園をこしらえているだけかもしれない。
 著者が目指しているのは、本教を海外で普遍的宗教として展開し、なおかつ土着化させるという、最も困難な道である。そのためにこそ、著者はさまざまな「元の理」教学の学際的展開を行ってきたのだった。グローバルな布教展開を行うためには、まず自らが世界化していくことが求められる。そこで脱ぎ捨てなければならないのは、教えと一緒にいつのまにか背負ってしまっている卵の殻である。これが普遍的な見地における「から(唐)」の本当の意味ではないか、と私は思う。「から」の思想とは、決して外来の教えや思想ではなく、ほかならぬ我々信仰の内にあって、教えの普遍的展開をさまたげるものだったのだ。最後に、全4章からなる本書の構成を述べておきたい。

第1章「天理教教理と海外伝道」では、「元の理」や教祖の逸話や先人たちの事績から海外伝道の展開を説き起こしつつ、著者自身のシンガポール布教体験についても回顧する。

第2章「文化変容と海外伝道」では、ピラミッドモデルによる海外伝道の発展段階を論じる。異文化に適応しつつ、自己変革をもともなう布教をめざす姿勢が主張されている。

第3章「アフリカ伝道の現況と展望」では、おやさと研究所がかつてタンザニア分室を有していた経緯に鑑み、東アフリカ伝道の開拓にかける著者の思いとその実践の一端を披瀝する。現在、ケニアやウガンダで自立人道援助支援をすすめている教友の活動も紹介している。

終章「海外伝道─未来への記憶」では、本書を読んで、そのアイディアを汲み取り、自らの布教実践に生かすべく、未来に出現する「めざる」へのメッセージが綴られている。

「めざる」一匹とはだれであろう? 実存論的にいえば、ほかならぬ我々信仰者一人ひとりのことなのである。著者が読者に期待するのも、そうした「めざる」一匹なのだ。


 
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